百田尚樹の新・相対性理論(3)

兎に角、この本を読んでいる暇がなくて?でも、今日は一寸だけ暇ができたので本を開くことが出来た。どうも、長生きするための時間らしいのである。そのためには、同じ長さの時間を過ごすなら、ボーっと無駄に過ごすのではなく、もっと充実したものにしようではないかという。至極当然のようだが、僕の考えは違う。

時間は永遠のようだが、僕自身にとって、過去は確かに存在したが、どう、あがいても過去へは絶対に戻れない。「たられば」は、駄目なのである。唯一、明日があるのみ。でも、その明日も、僕が生きている限りにおいてのみ。つまり、明日も生きていられれば時間は存在する。時間はあくまでも仮定に過ぎない。ところで、明日はゴルフ。今、薪小屋で作戦を練ったり、時々小屋の外へ出て素振りなどをしている。これも明日があると信じて行動しているのだ。想定は自由だからね。もしかしてエイジーシュートを達成したらどうしよう。それも今夜、生きている内に考えておこうかな???

ところで、アインシュタインは、1905年に発表した特殊相対性理論で、「時間の進み方は、観測者同士のすれ違う速度(相対速度)が小さいうちは眼に見えた時間の差とはならないが、相対速度が亜速度(光速に近い速度)になってくると、眼に見えた時間の差が現れてくるので、どんな時でも一定ではなく、観測者によって異なる」と主張した。
これは、「時間は観測者ごとに存在する」ということであり、また、それまでの物理理論では概念上切り離されていた時間と空間を結びつけて、時間と空間が一体となった「時空」という概念を作り、その「時空は観測者の運動状態によって、遅れたり歪んだりして変化する」、という衝撃的な理論でした。

この時間に?小屋の外へ出て夜空を仰ぎ見ると、南の方角にオリオン座が見える。僕の大好きな星座である。でも、今、此処から、見えているが、既に消滅しているかもしれない。逆に、その星座から地球を見れば、僕はまだ、この世に存在しないどころか、人類そのものも出現していないかも。

余り深く考えると、わけがわからなくなるので、はっきりしていることだけ承知しておこうと思う。つまり、この世は諸行無常。生者必滅、会者定離。盛者必衰の理。絶えず変化している、昨日の僕は今日の僕ではない。そして、終には山河へ還る。

行く川のながれは絶えずして、しかも本の水にあらず。よどみに浮ぶうたかたは、かつ消えかつ結びて久しくとゞまることなし。世の中にある人とすみかと、またかくの如し。玉しきの都の中にむねをならべいらかをあらそへる、たかきいやしき人のすまひは、代々を經て盡きせぬものなれど、これをまことかと尋ぬれば、昔ありし家はまれなり。或はこぞ破れ(やけイ)てことしは造り、あるは大家ほろびて小家となる。住む人もこれにおなじ。所もかはらず、人も多かれど、いにしへ見し人は、二三十人が中に、わづかにひとりふたりなり。あしたに死し、ゆふべに生るゝならひ、たゞ水の泡にぞ似たりける。知らず、生れ死ぬる人、いづかたより來りて、いづかたへか去る。又知らず、かりのやどり、誰が爲に心を惱まし、何によりてか目をよろこばしむる。そのあるじとすみかと、無常をあらそひ去るさま、いはゞ朝顏の露にことならず。或は露おちて花のこれり。のこるといへども朝日に枯れぬ。或は花はしぼみて、露なほ消えず。消えずといへども、ゆふべを待つことなし。(方丈記冒頭文)

結論:明日を信じて、今、この瞬間を懸命に生きることだ!たとえ、長生きしても死んじゃったらお終い。だから、繰り返しになるが、今、この瞬間を大切にしよう。悔いのない人生であるために。

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