マライア・キャリー

今日は私のお気に入りの歌姫マライア・キャリーの曲を紹介します。昨夜、音楽ストリーミングサービス・アプリ「spotify」で50曲リストアップし、その中から、解説やコメントを参考にしながら自分にフィットした3曲を選んだ。

1 I’ll Be There

2 Mariah Carey, Boyz II Men – One Sweet Day

3 Whitney Houston – When You Believe

Catch the Wind


ボブ・ディランではありません。ドノバンの「Catch the Wind」。でも、そっくり。顔ではなく歌い方が。

次にクリスタル。ゲイル(カントリー歌手)とのデュエットで

joan Baez(ジョーン・バエズ)

 フォークの女王「ジョーン・バエズ」は1941年1月9日 生まれだから、私より3歳年上の77歳ですね。彼女のあの透き通った美しいソプラノの歌声が好きだったが、「人はどう死ぬか?いつ死ぬかを選択できない。どう生きるか?これだけは選択できる。」という彼女の言葉も気に入っている。
 彼女はボストン大学在学中からギター片手で歌い始め、18歳の1959年、当時、アメリカで最大規模のフェスと言われた第1回ニューポート・フォーク・フェスティバルに出演した。繊細かつ艶やかな伸びのある高音ボーカルはたちまちのうちに聴衆を虜にし、一夜にして彼女はヒロインとなった。
 翌年、1作目のアルバム「joan Baez」でレコードデビューを果たし、1961年にリリースした2作目のアルバム「joan Baez Vol 2」はゴールドアルバムを獲得した。以降、その地位を不動のものとし「フォークの女王」称される存在となった。
 アメリカにおけるモダンフォークの先頭に立ち、ブレイク前のボブ・ディランを世に紹介したのも彼女である。そんな中、ベトナム戦争が深刻さを深めていくにつれて、彼女は反戦思想を込めた「We Shall Overcome 勝利を我らに」などを高らかに歌うようになる。
その頃、彼女はボブディランと恋愛関係にあり、1964年のニューポートフェスでは蜜月の状態だった。



恋する乙女の歌声は純粋で麗しく美しい。


 1965年、ディランの英国公演にジョーン・バエズも同行したが、ディランはもう一人の交際相手サラ・ラウンズも呼び寄せた。バエズはやむなく傷心のまま帰国し、その後、1966年に徴兵拒否で投獄中のデヴィット・ハリスと結婚した。
結婚の翌年、1967年1月に彼女は初めての来日公演を果たす。各地を公演して、歌とともに「私は歌手であるよりも人間。次に平和主義です」と語った。なお、その頃、森山良子(当時19歳)は「和製ジョーンバエズ」と呼ばれていた。70年代半ばになると、公民権運動の終息と共に、フォークも下火になった。しかし、彼女はその後も一貫して自由と平和を訴え続け、活動を続けた。


※ 75歳の誕生祝いライブ : 若干、色褪せて来たが健在です。

前を向いて進むという意志の強さはまだ失われていない。
※ 登場歌手
DAVID CROSBY
MARY CHAPIN CARPENTER
EMMYLOU HARRIS
MAVIS STAPLES
INDIGO GIRLS
DAMIN RICE
RICHARD THOMPSON
JACKSON BROWNE
JUDY COLLINS
NANO STERN
PAUL SIMON

インタビュー:ジョーン・バエズ、ボブ・ディランのノーベル賞受賞と自らの引退時期について語る

聞き手:ランディー・コルドヴァ

● お元気ですか?

ええ。ジムから戻ってきたばかりで、たくさんの殿方がウェイトを持ち上げるのを見てたわ。

● 健康維持に関する話なのですが、どのようにしてこんなにステキな声を保ってるんですか?

簡単じゃないのよ。30代半ばくらいから人は重力と戦い始めるでしょ。すっかり変わってしまったわ。最近では「どうしたら出来るだけスピーディーに欲しい音を出せるかしら?」って感じ。そうするのがあまりに大変になったら、引退の時ね。

● そういう計画なのですか?

ええ。辞めるわよ。

● でも、今では80代になっても活動してるミュージシャンがたくさんいますよ。

いるわね。でも、そういう人たちの中で、声で有名な人はひとりもいないわ。私にとっては声が天からの恵みでした。私はロックンローラーじゃありません。ヒットメイカーでもありません。私の場合、声帯から出てくる声への依存度が非常に高いんです。(ミック・)ジャガーは高くありません。(ボブ・)ディランもそう。ピート・シーガーもそう。それに、慢心しちゃうのよね。誰も(私の声が劣化していることを)教えてくれないから。「バエズ、あなた酷い声ですね!」なんて言ってくれる人、いないでしょ。

● でも、そう言われたい人なんていないでしょう。それとも、あなたは「私をステージに立たせて!」なんてガツガツしないタイプの人なのですか?

来年は私はツアーはやりません。アルバムを作って、それから様子を見ます。辞める時には、きっと、それに伴って心理的な負担があるでしょうね。

● 自分はロックンローラーではないとおっしゃってましたが、ロックンロール・ホール・オブ・フェイムにノミネートされて驚きましたか?

「皆さん、ちょっと遅いんじゃないの」もしくは「私、ここで何やってんのかしら?」のどちらかでしょう。でも、1960年代に始まったあの音楽のスイッチには私も関与してたので、ロックンロールの一部ではあるわね。

● 名声や賞についてはどういう考えをお持ちですか?

あまり考えません。ステキなものだとは思うけど。

● ディランがノーベル文学賞を受賞した件について、あなたのご意見は?

とても素晴らしいと思います。細かい決まりや意味的な問題は理解出来ませんが…。ボブのマナーはダメだけど、言葉のほうはノーベル賞に値すると思うわ。

● マナーがダメとはどういうことですか?

だって、ノーベル賞を取ったら、普通は折り返し電話をかけて「メッセージ承りました。ありがとうございます」って言わない?

● あなたはずっとディランの歌に引きつけられていますが、どのようにしてマテリアルを選んでるのですか?

うぶな言い方に聞こえるかもしれないけど、曲の方が私を選ぶの。本当にそうなのよ。ある種の歌詞を探したりはしません。(現在、レコーディング中のアルバムに関しては)徐々に弧が大きく膨らんでいく様子を見ているうちに、トム・ウェイツの曲が見つかったり、リチャード・トンプソンの曲が見つかったり、ジョシュ・リッターの曲が見つかったりするの。

● キャッチーなコーラスのある心地よいポップ・ソングに魅力は感じないんですか?

もちろん、感じるわ。どんぴしゃりでそのカテゴリーじゃないんだけど、ドノヴァンの…超名曲ってわけじゃないんだけど、〈Catch the Wind〉みたいな曲は聞いてて楽しいわ。今時の音楽には、あまり結びつきを感じないんだけど、スタージル・シンプソンのような人はとても気に入ってるわ。でも、10歳前後の子の聞く音楽の多くは耐えられない。私には13歳の孫娘がいるんだけど(ため息)。

● あなたがその年齢の頃のポップ・ミュージックは今より優れていたでしょう。少なくとも、メロディーはもっと良かったですよね。

白人音楽はメロディーが美しくてステキでした。ゴギー・グラントやアンドリュー・シスターズとか、美しい女性ヴォーカルがありました。その後、私が夢中になったのはリズム&ブルースなんだけど、こっちにも美しい声がたくさんありました。メロディーはそれほどでもなかったけどね。コードのパターンも似たり寄ったりで。でも、大好きだったわ。ハマっちゃった。そして、ちょうどその真っ只中でフォーク・ミュージックが出てきて、道が敷かれちゃったわけね。フォークは、楽しいんだけど何も語ってないバブルガム・ミュージックに対する反逆でした。

● あなたの年齢がそのまま最新アルバムのタイトルになっていますが、人目にさらされてる人間でそういうことをする人はあまりいませんね。不安は感じなかったですか?

選んでやったことなのよ。既にプログラムは決定していて、マネージャーから言われたの。「今度は誕生日を祝いたくないかい?」って。0.6秒くらい考えてから、イエスって答えたわ。この社会では、未来や死んでいくプロセスに、人は直面したくはないの。殆どの人は考えたくもないことなんだろうけど、毎日、鏡を見るとそれを思い知らされるのよ。

● ペトゥラ・クラークのインタビューを読んだのですが、彼女はマスコミの人間が80代になってどういう気分ですかって質問するのにうんざりしていたのだとか。あなたもそれに共感しますか?

いいえ。みんな、そんなこと訊かないもの。若く見えるから(クスクス笑)。今はまだ「80」って言い始めたばかりなので身の毛がよだつけど、「80」って日頃から言ってれば、そのうち恐ろしい要素が消えちゃうんじゃないかしら。

● 話題を変えましょうか。あなたのスペイン語アルバム(1974年リリースの《Gracias a la Vida》)は古典的名盤で、今や多くの家庭にあります。再びスペイン語のレコードを作る予定はありますか?

わかりません。私がこの世で作るアルバムは、1枚よりそんなに多くは残ってないでしょう。真面目な話、そういうアルバムは作らない可能性の方が高いと思うわ。でも、未来のことなんてわかりません。あのアルバムを出した時は、私は政治問題にどっぷり浸かっていたの。行方不明になっちゃったチリ人や独裁政権とか。それでああいうアルバムを作ったの。あれが、何かしたい、どうにかしたいって時の私のやり方なのよ。

● それがあなたにとっての音楽なんですか?

難しい質問だわ。たぶん、そうなんでしょうね。少女の時は確かにそうだったわ。私は学校では人気者じゃなくて、メキシコ系で、あらゆる点で不適切な存在でした。でも、ウクレレを弾き始めて、それを学校に持ってったら、みんなが喜んで聞いてくれることに気づいたの。家では趣味で弾いてたのよ。4コードのリズム&ブルースを。それが始まりね。

藤井聡太6段

 今や将棋界は藤井フィーバーで沸き返っているが、彼は、まだ中学生だ。凄いねぇ。特に感心するのは、対局後に語る言葉づかいである。とても中学生とは思えない言葉が自然に飛び出てくる。おそらく、これまでに先輩棋士達がそれぞれの局面で語った言葉も、しっかりとインプットされているからだと思う。
 29連勝中の内の20連勝がかかった澤田真吾6段との対局で、藤井君が珍しくミスを重ね、ギリギリまで追い込まれて、あと一手で負ける局面で誰もが藤井の負けを覚悟した。でも彼は連続、王手で澤田6段の王を誘い出し、最後に桂馬で王手をかける。彼が仕掛けた一か八かの大勝負だ。澤田6段の選択肢は二つ。王を逃がせば藤井君の負け、桂馬を取れば澤田6段の負け。1分1手の秒読みの中で、澤田6段は選択を誤り、藤井君の20連勝達成。
 この時に、「今日は苦しい将棋で、勝てたのは自分の実力からすると僥倖(ぎょうこう)としか言いようがないと思います」と振り返った。因みにこの「僥倖」という言葉の意味は「思わぬ幸運」。勿論、僕は何の意味か全然、知らなかった。後で調べてやっと知った。
 また、公式戦通算50勝を達成したときも、大台の50勝に「1局1局指してきたのが節目(せつもく)の数字となりました。感慨深い」と笑顔を見せた。中学生らしく読み方を間違えたのかなと思ったが、そうではなかった。「ふしめ」と読む場合は「ものごとの区切り」という意味。これに対して、「せつもく」と読むと、「小分けの細目」という意味。藤井君が、両者のニュアンスの違いを正確に理解していたとすれば、50勝目は人生の大きな区切りではなく、まだまだ続く途中経過にすぎません、と謙虚に答えたことになる。 この子は、いや失礼、藤井聡太6段(15歳)は本当にとんでもなく凄い。末恐ろしいねぇ。

駅前の本屋で衝動買いした


☖ 羽生善治 VS. 藤井聡太 (2018/2/17)☖

 

デヴィッド・ボウイ

♫ 「ビギナーズ」デヴィッド・ボウイ ♫

ロンドンを舞台にジャズと踊りに明けくれる若者たちの群像を描いたミュージカル映画 『 ビギナーズ 』(1986年公開) のテーマ曲 「Absolute Beginners」(直訳すると「ガチガチの初心者」)


昨夜も、Netflixで「デヴィッド・ボウイ:世界を変えた男」を視聴した。内容は2016年にその人生を閉じたデヴィッド・ボウイと関係者へのインタビューを通して、稀代のアーティストの偉大な功績と影響を探る内容のドキュメント。1970年代は、僕も若かった所為もあり、彼のパフォーマンスや音楽に少なからぬ衝撃を受けた一人。なお、ドキュメントでは楽曲が殆ど流れず、つまらなかったが、昔を思い出し、懐かしかった。


♫ David Bowie – China Girl  ♫


♬ David Bowie // Live in Berlin 2002 ♬


ボウイ55歳の時のベルリン公演ライブ